
死を見つめたから生が見えた——闘病後につかんだ憧れのスタイル
6月にグランプリが決定した『NOHAIRオブ・ザ・イヤー2020』。
総勢30名のNOHAIRSたちのエントリー画像が並んだPC画面はとても壮観だった。
そんな中でひときわ個性的な出で立ちの方に思わず目を奪われた。

応募理由には「スキンヘッドで人生を楽しんで生きてる人間はここにもいますと、お伝えしたくて」と書かれていた。
「一体どんな人なのだろうか・・・?」と気になり、今回インタビューに応じていただいた。
癌という人生の転機
——コンテストの応募写真の着物姿がとても印象的でした。Twitterを拝見したところ、他にもバイクやサバゲーなどの話題が盛り沢山で、多趣味な方という印象を持ちました。
昔から多趣味だったんですが、2年前の55歳のときに癌になったことで、趣味にさらにのめり込むようになりました。
興味があって面白そうなことには顔を突っ込もうという考えになって、そこからまた趣味が広がったんです。
自宅療養中にインターネットラジオのPodcastを頻繁に聴くようになって、リスナー同士でいわゆるオフ会をやっているので、そういう場にも参加するようになりました。
昔やっていたサバゲーも再開して、新しい仲間と出会えて楽しかったですね。
病気療養のために休職していたんですが、そうすると自宅に引きこもりになってしまうし、外出する必要がなくなってしまうんです。
それではダメだと思って、積極的に外へ出て人と会うようにしていましたね。外出して人と会って話すことが一番楽しいと感じました。
——癌を宣告されてしまうと落ち込んでしまい、治療に専念する日々になってしまうと思うのですが・・・。
癌に関して落ち込んだのは、宣告された1日だけでした。その日は「人生の終わりだ」と思いましたが、これから先をどう過ごすかを考えるほうが建設的だと思ったんです。
病院でも「楽しいことをして生きてください」と言われました。『病は気から』ということなんでしょうね。
「調子が良ければどんどん出かけていって楽しいことをしてください。無理をしない程度で楽しんでください」と言われました。
その結果、趣味に勤しむようになったんですが、僕がNOHAIRになったきっかけも趣味が高じた結果なんですよ。
天然パーマに悩まされていた僕にとって、NOHAIRは理想的なヘアスタイル
30歳ぐらいのときにバイクに乗り始めました。バイクに乗って温泉に出かけるのが好きで、そうすると髪の毛を乾かしたり整えたりするのが面倒だったんです。
「それなら坊主にしちゃえば楽なんじゃないの?」と思って、ちょっと勇気はいりましたが、3mmや5mmの坊主頭にしました。
そのうちにバリカンよりもカミソリで剃ったほうが楽なんじゃないかと思ったので、坊主頭にしてから割とすぐにスキンヘッドにしました。
だから僕は、薄毛に悩んだ末にスキンヘッドになったわけではないんですよ。
——スキンヘッドにすることに抵抗感を持つ人もいます。スキンヘッドに悪いイメージはなかったですか?
むしろ格好良いと思っていました。スキンヘッドで一番印象に残っているのがユル・ブリンナーという俳優さんです。
子供の頃に見た海外の映画俳優はどの人も格好良いですが、中でも頭がツルツルの人がスターなのが印象的でした。
だからツルツル頭が格好悪いだとか、怖いというイメージはなかったですね。
——スキンヘッドにされてから、また伸ばしたいとは思いませんでしたか?
思わなかったですね。元々、天然パーマだったので、寝癖だったり髪を整えるのにとても苦労していたんです。
ファッションやパンクロックが好きだったので、色々な髪型に挑戦しましたが、ずっと自分のベストの髪型が分からなかったんです。
その点、スキンヘッドは悩む必要がないので、本当に楽になりましたね。
趣味のバイクが高じてスキンヘッドになったワルダーさん。子供の頃から自分の好きなものに夢中になる性格だったそうだ。
たくさんの趣味を満喫する人生はとても楽しそうだが、どうしても拭えないコンプレックスがあったのだという。
自分を強く見せたい
スキンヘッドにすると怖そうに見えるので、人当たりを優しく見せたいとか、柔らかさを出したい人が多いですよね。でも僕は逆なんですよ。
学生時代の僕は、どちらかというといじめられていた方でした。身長も低かったし、スポーツも全然できなかった。
酷いいじめというわけではありませんが、なんとなく男友達のヒエラルキーの中では下の方だということを感じていました。
自信もなかったですし、学生時代は生き方に迷っていましたね。だから『自分を強く見せたい』という思いがずっとありました。
その点スキンヘッドは怖そうな印象を与えるので、自分にとってはちょうどいいんです。
諸刃の剣で、怖く見られてしまって、話しかけづらい印象を与えてしまうという弊害も自覚しています。
でもそのことが自分の性格を変えるきっかけになったんです。
人と繋がりのある生活が楽しい

趣味の集まりに頻繁に参加する中で、スキンヘッドのせいで話しかけづらいと思われているという自覚がありました。
相手が話しかけてこないのは分かっているので、自分から積極的に声をかけるようにしたんです。自分から人の輪に入っていくことを意識しています。そこから趣味の友達との繋がりができました。
元々は人と積極的に関わっていくような性格ではまったくなかったんです。誰かといるよりは、図書館でずっと一人で本を読んでいるほうが好きな子供でした。
人と騒ぐよりは一人でいるほうがいいし、誰とも話さなくても構わないし。
自信のない引っ込み思案な子供でしたね。その性格が変わったのはバイクに乗るようになってからです。
人と交流する機会が増えて、徐々に人といることを楽しめるようになりました。
大きく変わったのは、療養中に趣味の集まりに顔を出す頻度が増えてからです。
人と繋がりのある今の生活がとても楽しいです。
早期退職して自分がなりたかったスタイルを手に入れた
これまで趣味を通して髪型や性格を変えてきたワルダーさん。病気療養後の復職を経て、現在は早期退職されている。
早期退職のきっかけは、療養中にそれまでずっと憧れていた『あるスタイル』に取り組んだからだそうだ。
ヒゲを生やした男性が、僕の長年の理想の男性像でした。
海外のスターや、強そうなプロレスラーがヒゲを生やしているのを見ていたので、僕にとって完成された男性像にはヒゲが必須だったんです。
僕はずっと電車を運転する鉄道員で、職業上ヒゲは伸ばせなかったんです。
鉄道員になることは子供の頃からの夢だったので、ヒゲを伸ばせなくてもそれはそれで良いかなと思っていました。
だからヒゲを伸ばすのは定年後にしようとやり過ごしてきました。
それでもどうしても定年後まで待てなくて、病気療養中にヒゲを伸ばしてみたんです。「やっぱりこの方が好きだ」と思いましたね。
その後、病気は治って働けるようにはなりましたが、心のどこかに穴が空いたような気持ちになったんです。なぜなのかを考えたところ、ヒゲを剃ってしまったせいだったんですね。
「今、ヒゲを伸ばさないと精神的に死んでしまう」と思って、半年後に早期退職を決意しました。退職してヒゲを伸ばしている今は、とても落ち着いています。
スキンヘッドで、着物を着て、ヒゲを伸ばしている。そんなファッションが自分の第二の人生のスタイルだと思っています。
自分がなりたかった姿はこれだったんですね。
将来の不安を解消するために今を生きているのではない

退職したときに『このご時世でこの先どうやって生きていくんだ』という不安が、一瞬だけ頭をよぎりました。
でも誰も分からない将来のことをくよくよ悩むよりは、今できることを楽しんだり、可能性があることにチャレンジしたい気持ちになりましたね。
大多数の人たちが老後の心配をする気持ちはよく理解できます。
でも人間は、老後の安心を得るために今を生きているわけではないと思うんです。
そう思うようになったのは癌になったからですね。
「人間いつ死ぬか分からないし、死ぬときは簡単に死んじゃうんだな」と思いました。
それじゃあ残りの人生をどう生きるか、ということを考えるようになりました。人生に不安のない人なんていませんよ。
それなら今を楽しみたいと思いますし、死ぬときに「やりたいことをやった良い人生だった」と思いたいです。
インタビュー終了後、「今日はこれがあるんです」と照れくさそうに最近始めた武道の木刀を見せてくださった。インタビューの後は稽古に向かうのだそうだ。
闘病やコンプレックスから脱却したお話を聞いた後、コンテストの応募動機である「スキンヘッドで人生を楽しんで生きてる人間はここにもいます、とお伝えしたくて」という言葉に、より一層の深みを感じた。
モデル:ワルダー 元鉄道運転士 / 撮影:長谷川さや / インタビュー・編集構成:東ゆか