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病気から薄毛になったら、どう立ち直ればいいのか。宝物は、自分のよき理解者たちだった

薄毛について悩みはじめるきっかけは、人それぞれ。

加齢による薄毛に悩む人が大多数の中、病気のためにやむなく薄毛になってしまうケースもある。

身体のことも抱えながら、薄毛にも付き合っていかなければならなくなったら、どんな心持ちで過ごせばよいのだろうか。

福井在住の濱尻光伸さんにインタビューし、その答えについて伺ってみた。

ごっそりと髪が抜けるショックを目の当たりにして

製造会社で単身赴任2年目です。家があるのは京都で、そこから最初の2年間は北九州、3年目で大阪、4年目で福井に赴任しています。

体調が変だなと思ったきっかけは、今年(2022年)2月の夜、息苦しくて何回も目が覚めたことです。3週間か1か月か、いつもの咳とは違って乾燥し切った咳が続いて、そこから息苦しさに変わっていきました。

さすがに寝ているときまで息苦しかったら病院行かなあかんわと思い、最初に行ったクリニックでレントゲンを撮ったら肺が真っ白だった。大きな病院を紹介され、注射で肺の中に溜まっている水を抜いてもらったら、2.5リットルもあったんです。水を抜いたら呼吸がものすごく楽になりました。

結局そこでステージ4のがんと診断されました。

がんが見つかったころ、事務所の15段くらい階段を登っただけで息苦しくて、調べてもらったら片方の肺が機能していない状態でした。

外科手術ができないため、3月から抗がん剤治療を開始しました。
開始2週目から副作用で脱毛がみられました。朝起きたときに抜けた髪が枕にごっそりと付いていて、風呂に入ったときにも抜けて心が折れてね。眉毛もほとんどなくなりました。

真っ先に髪の毛がなくなったことが本当にショックでした。そこが僕の薄毛との付き合いの始まりです。

スキンヘッドにして起こった、プラスのこと

髪の毛がなくなって真っ先にしたことは、散髪屋さんに行って髪を0.5mmの長さにカットしたことです。僕はわざとらしいのが好きじゃないので、ウィッグで隠そうなどとは一切考えませんでした。

「ほぼスキンヘッド」にして3か月近くになるんだけど、いいことばっかりです。
ほとんどメンテナンスがいらない。寝癖を考えなくていい。朝出社するときに時間の余裕ができます。自分として、この髪型はプラスになったと思っています。

今は夏場で暑くなりましたので、頭に汗をかきますからハンカチは常に持っていて、頭には血管が沢山あるので、傷つけないように気を付けています。

あと眉毛がほとんどないので、表情を柔らかく見せようと工夫をしています。

以前は全く興味なかったんですが、最近は坊主にしている人を見かけると「メンテナンスはどうしているんですか?」と訊いています。人それぞれのノウハウがあって面白いんですよ。

うちの会社は社員120名ほどだけど、スキンヘッドの人は僕ともう一人います。

2/120人ですね。地方ではスキンヘッドしている人は少ないです。1%、2%の世界なんやなあと思う。

東京ではスキンヘッドは、周りを見渡せば割といます。でもそれは自分のようにがんという病気が理由だからではなくて、単に薄毛に悩んで剃りましたとか、「坊主の方が気持ちいいから剃った」という方が多いのでしょうね。

闘病生活をポジティブに過ごす秘訣

がんと診断されたときは家族に冷静に電話できました。

「自分は世の中の人と同じ」という感覚で生きていたから、自分の置かれている状況がしばらくは全く理解できなかったんです。

診断からしばらく経った今は、抗がん剤治療の影響で脱毛が始まったのはショックだったけど、この闘病生活が日常になってきました。

こういう病気を患うとものすごくネガティブになってしまうと思いますが、僕にはそれが当てはまらなかった。普通は夜も眠れんくらい落ち込みますよね。それがなかった。

普通、自分が病気かどうか、検査結果を聞くのってものすごく怖いじゃない?
実は明日、進行状況の検査結果が出るんだけど、それが楽しみでしかたない。だって最初にCTを撮って、1か月間抗がん剤やった後に先生が「(病巣が)ちっちゃくなってる、他に転移がない」って言ってくれたんです。それから2か月、X線しか撮ってないので、今どうなっているのかなって。もし「がんがなくなってる」と言われたら気持ちええやろなあと思ってるね。

主治医の先生はうちの息子よりもちょっと年上の若い人だけど、患者さんの立場に立ってモノをハッキリ言ってくれる。

僕が単身赴任って知って「京都の自宅近くの病院を紹介することはできますよ」と提案してくれたんです。でも「先生のもとでの治療をお願いします」と言いました。

治療や投薬で大変なことは副作用くらいかな。それ以外は特別大変ではないから、赴任先の病院でも大丈夫。

セカンドオピニオンって大事って言いますよね。でも全くそういうことは考えなかった。今かかっている福井の病院は全ての設備が整ってる。僕の病気を見つけてくれて、検査から手術まで、3週間で全部やってくれた。だからこの先生についていきます。

互いに気を遣わない関係を築いていく

仕事は、体調を見ながら出社しています。

特別に優しく接してくれる人はほとんどいないんですよ。この病気になる前と特に変わらず、そのままの状態で皆さんやりとりしてくれています。

変に気を遣われると嫌なので、周りが変わらないことがよかった。

病気が治っても、もう髪は伸ばしません。でも眉毛は早く伸ばしたい。
会社で働いている、女性たちが「眉毛書いてあげよかー」って言いに来るんですよ(笑)。

僕は具体的な病名は言ってませんが、たいがいみんな知ってる。
でもそういう冗談が、社員同士で言えるような雰囲気を目指しています。社員と近い距離感で働くことは、普通の上場企業じゃできへんと思う。

僕は「みんな、ワンチームだ」って思ってるんですね。例えば部下と僕の関係もそう。

僕は本当にわがままで、「これや!」って思ったら人の意見聞けへん。でもそんなときは周りがちゃんと一つ一つ諭してくれています。

だからもしかしたらワンチーム以上になってるのかな。チームというよりもパートナーかもしれない。「君がそこまで言うんなら、いいよ」とビジネスでも言える関係です。

「自分のやり方が絶対だ」と思っていたら、その結果は一時的なものにしかならないでしょう?結果を持続したければ、自分が変わっていかないと。それを周囲から学びました。

自分の理解者を探してみよう

僕は脱毛って、テレビの中の世界のことやと思ってた。まさか自分に降りかかるなんて思いもしなかった。そう思ったら余計に、最初に髪がなくなった現実を突きつけられたときに心折れて泣いてもうた。

それは本当にショックだったけど、そこから立ち直ったのは家族と、会社のブレーンのおかげです。

病気のことを嫁さんに言ったら「大丈夫?」とだけ言ってたけど、でもうちの嫁さん気ぃ強いの。長男は「お母さんが一番テンパってたでぇ」って言ってたけど、僕には一切そういう姿は見せなかった。

嫁さんと長男に支えられているのが大きいです。嫁さんはこっち(福井)に来てくれたし、長男も海外に赴任していたけど戻ってきてくれました。

うちの息子も嫁さんも、僕の頭を見て笑いよるもんね。もし家族が理解してくれなかったら僕はスキンヘッドにはしていなかった。ウィッグでごまかすと思う。

僕を理解してくれそうな人に現状を伝えようかすごく悩んで、思い切って伝えてみました。そうしたらみんなから「体調悪かったら言うてくださいね」って電話がかかってくる。それが随分と励みになりました。

今、薄毛で悩んでいる人に何か伝えるとするなら、自分を理解してくれる人を一人でもいいから身近に作ってほしいということ。誰かがいてくれればそれでいい。簡単なようで難しいことだけど、きっと理解してくれる誰かがどこかにいるはずだから、諦めないで探してほしいですね。

 

濱尻さん、そして周囲の方のお話からは、とにかく「信頼関係が築かれている」ことが伝わってくる。病気であろうがなかろうが、誰かを支え、支えられているという強い絆が生きる活力になるのだろう。たった一人でいい、誰かとそんな関係が築けるのは、素敵なことだ。

モデル:濱尻光伸 / 撮影:長谷川さや / インタビュー:高山 / 文:青野まみこ
撮影場所:黒龍酒造大本山永平

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