
ヘヴィメタル界の『冠』を頂くブレない男の信念
とがりまくりのステージ衣装に身を包み、圧巻のパフォーマンスで見る者の心を掴んで離さない、その名も『THE冠』の冠徹弥さん。
事前に知らされていたライブ写真から、話すのもはばかられる強面のいかつい人物だと緊張していたが、インタビューの合間にはお茶目な一面も垣間見ることができた。
そんな彼の素顔に迫った。
なぜスキンヘッドにされているんですか?
90年代に入った頃、ヘヴィメタルの歴史に残るようなパンテラっていうアメリカのバンドがいてそのバンドのボーカルがスキンヘッドやったんよ。
俺がバンドのボーカル始めたのもちょうどその頃で、当時ヘヴィメタルはロン毛が当たり前やったけどスキンヘッドでこんなに格好良い人がおるなら自分もやろって思って。
たまにモヒカンにしたり髪染めたりしてたけど、結局手入れが楽ちんなんよね、スキンヘッドって。

周りからはビジネスハゲと言われてますけど、元々小学校から野球をやっててずっと丸刈りなんで全然抵抗はないね。
中学の時に買ってもらったNational製のスキカルまだ持ってますからね。たまに使ってますよ。30年以上経ってるから減価償却絶対してるよね(笑)
なぜヘヴィメタルを始めたんですか?
俺は中学生のころ洋楽が好きで、マイケル・ジャクソンやシンディ・ローパー、マドンナとかよく聴いてたんよ。
洋楽の音楽番組のヒットチャートの中に、ヴァン・ヘイレンっていうハードロックバンドがランクインしてた。
すっごく衝撃的なプロモーションビデオで聴いたことないようなサウンドやって、80年代アメリカの陽気でド派手な彼らに憧れたのよ。
そこからどんどん激しい音楽が好きになってヘヴィメタルにはまるわけです。
最初はギターリストになりたくて中2でギターをお年玉貯めて買って俺の音楽人生が始まった感じかな。そのときに買ったギターはいまだに使ってるね。
物は大事にする、1人の女性を大事にするタイプよ(笑)
吉本興業に在籍していたことがあると伺っていますが、どういう経緯で?
高校生のときに結成したバンドは大学に行っても続けてて、それでオリジナル曲を作ったのね。それをカセットテープに録音してライブハウス回るのよ。

そのうちのライブハウスに『吉本興業からお笑いなし本気でロックバンドデビューさせます』みたいなことが書かれたチラシがあって、何気なしに応募してみたんよ。
そしたら吉本から連絡あって、オーディションでパンツ一枚でライブパフォーマンスしてたらなぜかウケて盛り上がってしもて、それから毎週毎週呼ばれるようになって。
気付いたら千原ジュニアさんとかケンコバさんと一緒に舞台に立たせてもらえるようになったんですよ。
ヘヴィメタルって声がものすごいじゃないですか、あれって練習したんですか?
実は最初、ボーカルなんてやるつもりなかったんよ。ギターやりたかったし、そもそもあんな声出るはずないって思うやん?
だから最初は、女の子にボーカル頼んでたのよ、あんなん女の子の声域やんって。
でも高3のある日、その女の子のボーカルが「受験あるから、もうやりません」ってやめちゃってね。
定期演奏会どうすんねんって困って、ギター2人ですったもんだあって、俺がやることになったんよ。でも全然声出んかった。
それから大学行って、大学1年の時はバンド活動全然やってなかったんよ。高校で組んでた後輩が受験やから1年待ってくれって。
その時だけは髪の毛伸ばして、大学生らしくコンパに明け暮れてた。1年経ってコンパも飽きて、こんなナンパな感じになって音楽飽きるかなって思ってたけど、全然まだ好きやったね。
そのときにパンテラに出会って、坊主にしたんよ。そこからはメタル一筋。
吉本にいたときもメタルでそのときに組んでたバンドの『So What?』は変なメタル。YouTube1回観てみて。めちゃくちゃ面白いよ(笑)
メタル=ロン毛っていう世間のイメージがあるから、俺ってちょっと異色。
メタルの頭固いファンからは、「変なメタル」って昔から馬鹿にされてきたんやけど、30年やり続けてたら、生粋のメタルファンからもようやく「お前よくがんばった」って言われるようになったね。
なぜソロに転向したんですか?
4人でバンドやってんけど全員の意見が一致することてなかなかなくて、調子いいときは回転がよくなるんやけど、調子悪いときはぶつかりあうことが増えていってね。
結局それぞれ好きな音楽が微妙に変化していって解散することになったんよ。
でもバンドの方がいいこともあるんよ。結束された時のバンドのパワーってすごいからね。

『THE冠』でソロ活動してるけど、サポートメンバーって形でべっちとは10年やってるし、その辺のバンドより長くやってて、他のバンドには負けない結束力がある。
今もずっと曲作りやってるんよ、全部ね。ちょうど、来年ライブツアーあるんでね。
ツアーのライブハウスの場所だけ決めてんけどアルバム全然できてないのよ(笑)
ヘヴィメタルブームが落ち着いても続けたわけとは?
1995年にデビューするんやけど、90年代後半くらいから世界的に一気にヘヴィメタルは下火になって衰退していってしまって、その波が日本にも来てしまった。
なかなかバンド活動もうまくいかんかったけど、他のヘヴィメタルバンドはみんなやめていって、誰もおらへんようになったらこのジャンルで一人勝ちできるてやんって思ってね。
あとは意地やね。どっかで売れてたらやめてたかもしれん。大ヒットすることもなく、常に、なにくそ根性でやってるかな。
『帰ってきたヘビーメタル』はどうやって生まれたんですか?
あれはね、ちょうど事務所と色々あって、独立したんよ。
そのときに、なんかすっきりしたというかどうせもう後戻りもできへんし、超絶に攻めた曲を書いたる!そしてヘヴィメタルが盛り上がる時代をもう一度作ってやる!って思って作った曲なんよ。
個性を貫くことは難しいと思いますが、継続されてきた理由なんですか?
いつからか、『俺にはこれしかない』っていう覚悟ができたのかな。
30歳くらいの時はいつやめようかとかこれ以上やったら借金負うんじゃないかとか不安でマイナスなことばっかり考えてた。
それでも続けたかったんよね。
40歳くらいかな、これでいこうってようやく腹くくれた。そこからは迷いなくやってこれてる気がするね。
以前は攻撃的な音楽で「かかってこい」とか「やったるぞ」みたいなことを言うとったけど、最近はだいぶ感謝の気持ちが生まれてきて、「まだこの舞台で歌えてる」って思うと嬉しくて笑けてくる。メタルっぽくないけどね。

お客さんの年層も広くなり若い子もいれば子育ても落ち着いて、高校生の子どもを連れて親子で来てくれる方もいる。それも嬉しいね。
昔は、若い女性にキャーキャー言われたいがためにやってたけど、今は全然違うよ。
親子3世代に渡ってライブに来てほしいね。そのためには俺もあと20年くらいがんばらんといけんけどな。
今後の展望は?
もう来年で50歳やけど、まだまだ全然元気に歌える50歳を目指して、めっちゃ精力的に活動したいなって。アルバムも作ってるし全国もツアーもするし。
自分が主催で『大冠祭』っていうメタルフェスをやってんのよ。
毎年やってるんやけど、日本のメタルフェスってまだ浸透してないから、『日本人が作る、日本人のための日本人アーティストのメタルフェス』を俺がやってやろうって思ってる。誰にも作れないようなやつね。
もう1回、ヘヴィメタルの裾野を広げてやろうと思ってる。
最後に、冠さんにとってのヘヴィメタルとは?
それはね、怖いねそんなん(笑)
俺が思うヘヴィメタルって、Tシャツにもしてるし、歌にもしてるんやけど
『闘う魂、貫く心、それがヘビーメタル』
っていうのに尽きるかな。

ジャンルを超えて、常に闘っていく、貫いていく姿勢っていうか、何かを1つ貫いていくということがヘヴィメタルの道に繋がっていると思ってるんよね。
―ブレずに貫き続ける鋼の心。
それがその名の通り、日本のヘヴィメタル界の頂に君臨し続ける所以だろう。
モデル:冠徹弥 / 撮影:長谷川さや / インタビュー:高山 / 編集構成:土屋リサ
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