
スキンヘッドとは、ライフスタイルそのものだった。瞑想の世界から、スキンヘッドを考える
スキンヘッドにする動機は、人それぞれ。
薄毛に悩んでスキンヘッドにする人が大半の中、確固たる信念に基づいて堂々とスキンヘッドにする人もいる。
人生の壁にぶち当たって、今までの生き方を変えないといけなくなったとき、這い上がるためにはどうすればいいのだろうか。
本日は、ライフスタンスの表明方法としてスキンヘッドにすることにしたNOHAIRSの「瞑想家・テラ」さんからの、熱いメッセージをお届け。
人生に悩むあなたへのヒントの1つとして、響いてほしい!
No.1から滑り落ちたからこそ出会えた、瞑想の世界

自分の半生を振り返ると、幼少期から目立つことでクラスの中心にいるような人間でした。
中学まではよかったんですが、高校になると顔面に多数のニキビができて人と顔を合わせるのが嫌になり、いじめも受けました。
大学では肌も治ってストリートダンスを始めました。彼女もでき、ダンスサークルの中でもちょっと変わったダンスをすることでアイデンティティーを表出させていました。
元々No.1思考が強く、誰もが知っている会社に入りたかった。希望が叶ってIT系企業に入社して社会人になってからも、本業を頑張るというよりもオンリーワンになりたくて、いろいろと副業をしてきました。
大学時代からやっていたモデルや、社会人になってからはダンサーやDJとしても仕事をいただいています。
地元でも地域活性化活動をして、自治体から個人で表彰を受けました。本業のかたわらで活発に動いていたので、会社では「あいつは変なやつだけど面白い」と、さらにアイデンティティーを強固にしていきました。

その頃から「もっと目立たないと僕はみんなとは繋がれない」という感覚がさらに強くなっていき、28歳のときに大学院でMBA(経営学修士号)を取得するため進学しました。
大学院の2年間の在学中は社内でも多忙でしたが会社が休みの土日に大学院へ通い、さらに副業もやっていた。そんな状態でも睡眠時間を削って「もっとNo.1、もっとオンリーワンに」と戦い続けていました。
最初はクラスで1番でしたが徐々に5番、10番と下がって平均点、さらにそれ以下へ落ちたときは傷つきました。
そんな自分に対してハッパをかけて勉強していましたが、ある意味そのときから病んでました。
そんな状態でどうにか30歳でMBAを取得したと同時に「もう頑張りたくない」という気持ちが出てきました。
仕事をしながら涙が出る、急にメールの送信ボタンが押せなくなる、さらに職場のPC画面を直視できない状態にまでなってしまい、これはいよいよだめだと思い精神科医にかかりました。
精神科では催眠療法を受けました。催眠への導入として、自分の身体の状態に意識を向けるワークをしました。
大学院に通っていた2年間は怠け心が少しでも出かかってきたら押し殺していましたが、催眠療法で自分に正面から向き合って、自分の奥底に隠していた「No.1を目指すのは疲れた。もう頑張りたくない」という想いをやっと受け入れることができました。
そこから丸々1年間休職をしました。
休職中に調べたら海外の科学的な知見に基づいた瞑想を受けられるコースがあり、それを学んでいるうちに、身体がしたいと思うことをしっかり聞いて純粋に実行することが素晴らしく、人間性を取り戻していく感覚を得ました。
この感覚を他の人にも伝えたいと思って、瞑想を教える活動を始めました。
瞑想をすることによって、これまでの自分の悲しみや苦しみをしっかり感じ切り、拒否するのではなく味わう。そうすると「悲しいがある」「苦しいがある」ことがなぜか嫌ではなくなってきました。
休職前はPC画面すら見たくなかったのに徐々に見れるようになりました。今後もしかしたら再度辛くなるかもしれないけど、瞑想を使えば乗り切れるかもと思いました。
それが32歳を過ぎた頃で、この撮影をしている半年前に復職しました。
調和から自己破壊を経て見えた、瞑想家への道
勤務先のITのテクノロジーと瞑想を組み合わせて世の中に瞑想を広げていけないだろうかという想いが僕の中にあり、社内の同期と後輩の有志3人でプロジェクトを立ち上げ、社内にどんどんプレゼンをしていきました。
評価してくれる人もいましたが、自分と仲のいい友人には否定されました。「自分の勝手な妄想を膨らませて資料にしているだけで、社内にそれを伝えて何になるの?」と。彼からすれば「こんなことできたらいいな」レベルの妄想の資料はすごく腹立たしかったのでしょう。

瞑想を知ってからの僕は、思考を重視して即座に結果を出す世界観をある意味見下していたように思います。
でもそうではなかった。思考は思考で正解であり、感情は感情で正解だと気づいてからは「瞑想で調和を図りたい」と思っていたものを反対に振り切りたくなりました。
自分だけが心地いいことだけをしていてはいけないのではないかと思ったのです。それがきっかけで、休職した2021年の自分のテーマだった「調和」を、2022年の今は「自己破壊」に変えてこの半年活動してきました。
格闘技体験やインディアンの儀式への参加など、苦しくしんどいことを経験しましたが「苦しさの先に何があるんだろう」というところに楽しさを見出しています。
今後僕は本業と副業をこなしながら「瞑想家テラ」として生きていきます。論理的な左脳系の会社員でも、アーティスティックな右脳系の副業においても、内なる身体の声を引き出して現実世界にアイデアを出すこと。それが僕が考える「瞑想家テラ」としての生き方です。
シンプルに、ダイレクトに。髪を削ぎ落としたら、見えてきたもの
瞑想の世界ではできるだけいろいろなものを削ぎ落としてシンプルにすることで、内面・外面ともに変容します。
僕は「髪が生えていること」自体に疑問が湧いていました。髪を削ぐことでまだ自己破壊できる余地があるかもしれないと思い、スキンヘッドに興味を持ちました。

スキンヘッドにするにあたって検索したらNOHAIRSさんがヒットして、インタビュー記事に「スキンヘッドにしたら世界を感じられる面積が広くなった」と書いてあって驚きました。
僕は瞑想やヨガを通じて世界を感じる面積を広くしてきたつもりだけど、そこからさらに広げたいと思っていて、まだその方法があるのかと。
早速床屋に行きました。まずは後頭部から刈られて五厘刈りになり、次はシェーバーでスキンヘッドにしていって、仕上げにT字カミソリで剃り上げました。
最後に蒸しタオルで最後頭を拭いてもらいますが、それが本当に気持ちよくて。生まれたての赤ん坊が産婆さんに身体を清めてもらう、あれです。「今、頭だけ新生児やぞ!」って感じでしたね。
髪の毛があったときはそれはそれで良さがあったけど、実際スキンヘッドになると今までよりも情報がダイレクトに入ってくるような、新鮮な感じ方ができましたね。
スキンヘッドにしたら自己破壊が起きるんじゃないかと思っていたけど、意外と格好良い感じに調和して楽しかった。
髪の毛があることを決して否定はしないけど、髪の毛がなくなることで無駄なものが削ぎ落とされていく感覚が気持ちいいんです。
こんなに気持ちいい感覚は、押し付けにならない程度に他の人にもシェアしたいと思いました。
ライフスタイルとしての髪型を追求する!スキンヘッドはその通過点
僕にとって髪の毛とは「自分の根源にあるライフスタンスを表出させるためのツール」で、今の僕が大事にしているスタンスの表出としてスキンヘッドを選択しました。
「髪型にとらわれたくない」と思ってスキンヘッドを選択しましたが、「とらわれたくない」という強い想いこそが逆にとらわれの証拠でもあるので、あえてスキンヘッドに固執しすぎないようにしようと思いました。スキンヘッドにしたけど実はウィッグも購入しているのはそのためです。
だから「今日は髪の毛が生えている方の格好良いを表現したい」と思った日はウィッグを使うこともあります。もちろん「スキンヘッドとしての格好良いを表現したい」「ありのままの状態で過ごしたい」と思った日はスキンヘッドで過ごします。

僕は薄毛が原因でスキンヘッドにしたわけではないから、薄毛に悩んでいる方の感覚はわからないかもしれません。だから「こうした方がいいよ」と強く提案することはないです。
あえてお伝えするなら「するべき」という考えも大事だけど、「自分の身体の声を聞くこと」「本当の自分はどうしたいか?」を感じてほしいということです。
ただそれはとても難しいからすぐわかるものでもない。具体的にはコーチングやカウンセリングなどを使って、自分では出せない答えを専門家に引き出してもらうのもいいですね。
今後この髪型のままなのか?ということだけど、結論としてはそのとき身体がしたいことをするので髪を伸ばすかもしれないし、生涯スキンヘッドかもしれない。心のままに、身体がそのとき欲することをしようと思っています。

気分転換の一つにヘアスタイルを変えることはあるが、スキンヘッドにすることはその最も大きな決断になるのだろう。
しかし人生の溝が深ければ、スキンヘッドにすること自体、そんなに大きな問題でもなくなるのかもしれない。
瞑想家テラさんが経験した挫折の深さがしのばれるとともに、テラさんが得た瞑想の世界をさらにクリアにするために利用したのがスキンヘッドだった。
スキンヘッドには世界の感じ方を変えるパワーもあるのかもしれない。
モデル:瞑想家テラ / 撮影:土屋リサ / インタビュー:土屋リサ / 文:青野まみこ
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