
古きを愛し、新しきを発信する——日本一の観光地・浅草への下町愛
今回、お話を伺った飯島邦夫さんは浅草出身。25年以上、浅草観光連盟の一役を担っている。
現在、浅草が日本内外からの観光客で常に賑わっている理由の一つは、飯島さん発案のインターネットを利用した情報発信によるものである。
飯島さんの、今までとこれからの浅草に対する思いを伺った。
特技は集客
——飯島さんは人を集めることがお得意だと伺っています。浅草の観光事業に携わる前にもマーケティングの分野に携わっていらっしゃったのでしょうか?
IT企業に25年間在籍していました。
その中で、今でこそトレンドですが、1998年のインターネット黎明期の頃からコミュニティ運営をしていて、そこで得た情報を商品開発に役立てていました。

上海に赴任していた期間もあって、その当時、上海の日系企業への自社製品の販売が上手くいっていなかったんですが、日系企業のトップに接触して、販売を軌道に乗せて日本へ帰国しました。
帰国後は、自社が経営していた玄米菜食レストランのマーケティングを任されました。そこで初めてソーシャルメディアを使った集客にチャレンジしたんです。
当時は玄米菜食といえば一部のベジタリアンの方だけのものでした。
そこで一般の方々にもレストランを訪れてもらうために、有名ブロガーや、ソーシャルメディア内の有名人何人かに「健康的で美味しい」と紹介していただいて集客につなげました。
今でこそインフルエンサーを使って、宣伝や集客をするのはマーケティングの主流ですが、当時は『インフルエンサー』という言葉が使われ始めた頃でした。
——時代を先取っていらっしゃったんですね!
そうですね。
元々、ITの知識があったことと、マーケティング経験があったことが役立ちました。

ファッションのポイントは明るいこと、目立つこと
——NOHAIRになったきっかけはなんですか?
もともと短髪だったので、髪が薄くなってきたことは特に気にしていませんでした。
とりあえず短髪を金髪にしてみたんですけど、そうすると色味的に髪がないのと変わらなくて、それが自分でも結構かっこいいと思ったんです。
だから、もう髪の毛はなくていいやと思ってNOHAIRにしました。
妻には今の方がいいと言われましたけどね。

——今日着ていらっしゃるピンク色のジャケットが素敵です。ファッション選びのポイントはありますか?
とにかく明るくて目立つことが重要です。SNSと一緒ですね(笑)
年齢を重ねると、暗くて落ち着いた色がいいとされてますが、僕は華やかな色が好きです。

素顔の浅草を世界に伝えたい
——飯島さんは浅草観光連盟事務局次長と浅草神社奉賛会事務局次長を兼任されていますが、具体的にどういうことをされているか教えてください。
観光連盟事務局の仕事は、浅草に人が集まる行事を開催して、注目を集めて、実際に訪れてもらうまでを考えて実行することですね。
浅草神社奉賛会事務局では毎年5月に行われる浅草神社の三社祭の運営に携わっています。
三社祭は浅草の人たちにとって、正月以上にとても思い入れのあるお祭りなんです。
この三社祭に関しては、内容の紹介や宮神輿の現在地をWEBを使って提供したりしています。
僕の得意はやっぱりITとマーケティングと観光事業なんです。
それを生かした集客ということで、『365ASAKUSA』という浅草観光連盟のwebサイトとアプリの開発をしました。

浅草観光連盟のFacebookページに投稿した記事が、WEBサイトの365ASAKUSAに自動でページが作成される連携を実現させました。
作成されたWEBサイトの記事ページは、リンクを付けて自動でTwitterに投稿されます。
この連携によりFacebookページに『いいね!』した人しか見られなかった記事が、WEBページ上で誰もが閲覧できるページになりました。
Twitterに投稿することで拡散もされるので、TwitterからのWEBサイトへの流入もびっくりするくらい増えました。
また日本語の記事は英語・中国語・韓国語へ翻訳され、各言語のサイトへも投稿しています。
これによって世界中に浅草の情報を発信することができています。この連携が、Google検索順位を上げる効果を生み出しているんです。
現在、365ASAKUSAには、150ヶ国からの閲覧があるんですよ。

この『365ASAKUSA』の仕組みを商品化した『365CITYWALK』というクラウドサービスを僕が経営する株式会社EwilJapanという会社で事業展開しています。
——毎日新しい投稿がありますね!どういった情報を配信しているんですか?
大きな行事のことはもちろんですが、裏通りのかわいい雑貨屋さんや、小さな美味しい食堂などの情報も発信しています。
そういう地元の人か知らない情報は、ガイドブックや大きな旅行サイトにはどこにも載っていないんです。
でもわざわざ浅草を訪れる人は、現地に行かないと味わえないような、地元の人と同じ体験を求めています。
そういう情報こそが魅力的であり、「浅草に行ってみたいな」と思ってもらえると考えています。
雷門や仲見世商店街だけが『浅草』ではない
——飯島さんは観光連盟事務局に25年間ボランティアで関わってらっしゃいます。浅草生まれということで、浅草への思い入れも一入(ひとしお)だと思いますが、どのような気持ちがモチベーションとなっていますか?
浅草観光というとみんながまずイメージするのは、雷門や仲見世商店街ですよね。
でも浅草はそれだけじゃないんですよ。
新仲見世商店街や道具街で有名な合羽橋、下町情緒の残る飲食店が立ち並ぶ観音裏や、町ごとに特色のある専門店もあるんです。
僕はそこまで含めてすべてが浅草だと思ってます。
そんな浅草のいろいろな地域の情報を発信することで、浅草にもっとたくさん人が集まったら、必然的に『広い浅草』への客足も伸びると思うんです。
浅草全体が盛り上がって欲しい、そういう思いがモチベーションになっています。

愛する人たちに支えられて何度も再興した浅草
——飯島さんの浅草の情報発信のお話を伺っていると、浅草は地方創生の一つのロールモデルのような気がします。
浅草観光連盟は区や都の運営ではないんです。地元の人たちが戦後の焼け野原から発足させた団体です。
浅草は観光地としてとても古い歴史がありますが、同時に関東大震災、東京大空襲の被害にも遭いました。
戦後はカラーテレビの普及で、それまで浅草6区のエンターテイメントに集まってたお客さんがテレビに奪われてしまい、浅草に人が来なくなってしまった時代もありました。
東京の西側に、若者が好むトレンドの街がたくさんできたことで浅草から若者が消え、高齢者が目立つ街になっていきました。
ほんの10年前までは、浅草にわざわざ遊びに来る人はあまり多くなくて、ちょっと寂れた街だったんです。
そんな中でも浅草観光連盟の先輩方は、「浅草には歴史と伝統文化がある。そんな浅草に人は必ず戻ってくる」と話されていました。
だから僕たちは、毎月のように歴史と伝統文化に沿った行事を開催し続け、その情報を発信し続けました。
元は離れていった日本人の客足を取り戻そうと頑張っていたわけですが、そうしたら自然と外国人も訪れる町になりました。
——浅草には伝統的な下町風情を感じますが、外国人観光客が多いので国際色の豊かな町というイメージもあります。なんだか不思議な感じがします。
その秘密は浅草の敷居の低さと、情報発信力ですね。
以前、観光イベントの一環で、F1カーを浅草寺境内で走らせたことがありました。そんなことができる街なんです。
そういう情報をSNSに発信すると、日本のメディアがそれを取り上げるし、さらに海外のメディアも取り上げる。
そんな良い循環ができているんです。
そんな浅草で、これからも新しいことに取り組んでいきたいですね。
自身の専門性を愛する町に還元した飯島さん。世界中から愛される浅草の取り組みに、今後も注目したい。
モデル:飯島邦夫 浅草観光連盟事務局次長・浅草神社奉賛会事務局次長 / 撮影:長谷川さや / インタビュー:高山 / 編集構成:東ゆか
こちらのインタビューの撮影風景はYouTubeでもご覧になれます。