
なぜNOHAIRSが憧れるのか!?現役プロレスラー武藤敬司さん
みなさんこんにちは。
スキンヘッド歴16年の太田政晴です。
バリカンの坊主を経てスキンヘッドになってから、現在は週に2回、年間で100回頭を剃っています。
今回は今までの検証とは違い、スキンヘッドのプロと言っても過言ではない私が、スキンヘッドの有名人の自叙伝のレビューをしていきます。
その有名人は、現役プロレスラーの『武藤敬司』さん。自叙伝のタイトルは『自叙伝〜骨の髄までしゃぶり尽くせ!〜』(株式会社経済界)。

今回もスキンヘッドの有名人の自叙伝のレビューを書くので、とても楽しみです。
武藤さんはなぜスキンヘッドにしたのでしょうか。そして、NOHAIRS界隈で絶大な人気があるのはなぜでしょうか。
とても興味が湧きます。
スキンヘッドの有名人の生き方から、薄毛に悩む人へ共感と勇気を与えるレビューを書くために読んでみました。
武藤敬司さんの経歴
生年月日:1962年12月23日生(57歳) ※2020年9月現在
出身地:山梨県富士吉田市
身長:188cm
体重:110kg
主なチャンピオンタイトル
- WRESTLE-1チャンピオンシップ
- IWGPヘビー級
- IWGPタッグ
- 三冠ヘビー級
- 世界タッグ
- NWA USヘビー級
- WCWタッグ
得意技:ムーンサルトプレス
GENスポーツエンターテインメント元代表取締役会長
スポーツ万能少年——なんでも1番の少年時代

小学校時代は運動神経が良く、スポーツは何でもできたそうです。
特にバク宙・バク転が得意で、友達と体育館でバク転の競争をするくらいのめり込みます。
この頃テレビでプロレス中継を熱心に見ていたことから、「将来はプロレスラーになる」と卒業文集に書いていました。
中学校からは柔道を始め、天性の運動神経の良さもあって、山梨県で1番強かったそうです。
その証拠に、中学3年で初段を取り黒帯を巻いていました。
柔道は高校になっても続けます。
高校時代、柔道部とは別に道場に通い、大人に混じって練習することにより実力を付け、山梨県の大会の予選では負け知らずでした。
高校卒業後、5校の大学柔道部から誘われましたが、道場の師範から「柔道でメシを食うのは大変だ」と言われ、柔道整復師になるために仙台の専門学校に行くことを決意します。
無事に柔道整復師の試験に合格し、山梨で整骨院のインターンで働くことになりました。しかし骨折を打撲と誤診してしまい、患者を診るのが嫌になって落ち込み、辞めてしまいます。
その後、専門学校時代の先輩の紹介で新日本プロレスの入門テストを受け、練習生として合格します。
このときプロレスラーになろうと思った理由は、柔道を辞め、整骨院も辞め、父親の植木屋を継ぐぐらいしか選択肢がなかった中で、ダメ元で一度プロレスに挑戦しようと思ったからでした。
これが、プロレスラー武藤敬司の誕生の瞬間です。
新日本プロレス入門——同期の縁

新日本プロレスの新入生は、武藤さんを含めて5人でした。
その中に蝶野正洋さん、橋本真也さんがいました。その後『闘魂三銃士』と呼ばれる3人が同期とは、何か縁があったのでしょう。
そして、入門と同時に『新弟子のおきて』に従いスキンヘッドにします。
これが彼の初めてのスキンヘッドです。しかし自分の意思ではなく、強制的にスキンヘッドにされたと言う方が正しいですね。
プロレスの新人時代は厳しかったそうで、理不尽なことも多数あったと回想してます。
その中でも、スクワットをあまりに何回もやらされ過ぎことが後年膝を痛めることの原因になります。
武藤さん曰く、「ちょっと様子を見るぐらいでプロレスに入門した」ので、嫌になったら山梨の実家に帰って植木屋を継ぐつもりでした。なので、そこまで強い意志があってプロレスを始めたわけではありませんでした。
あまりにトレーニングが厳しいので、当時のコーチの山本小鉄さんに「しんどいから、俺、やめますわ」と言って辞めようとしましたが、引き止められます。
「武藤、ちょっと待った!あと1週間頑張ってみろよ。なっ、あと1週間」
山本さんは普段はそんなことは言わない人でしたので、期待を感じ、続けてみようと考え直しました。
そして入門から半年後、デビュー戦で同期の蝶野正洋さんと対戦して勝利します。
その翌年の若手のリーグ戦に臨むにあたり気合いを入れて、2度目のスキンヘッドにします。
このリーグ戦は、若手レスラーの登竜門的な意味があり、必ず結果を残すという決意からスキンヘッドにしたそうです。
ここで後に武藤さんの必殺技となる「ムーンサルトプレス」を初めて披露します。
この技は、リングに背を向けてトップロープに登り、空中で背中から1回転して着地の際に膝で相手にダメージを与えるというものです。
この技は見た目にもインパクトがあるのでお客さんが沸きますが、膝から落ちるので膝への負担が相当あります。
デビューから約1年でアメリカへ——2度にわたる海外武者修行

武藤さんはデビューから1年でアメリカのフロリダに拠点を移します。
これは新日本プロレスでは若手レスラーを海外修行させ、箔をつけてから日本で大々的に売り出すというねらいに沿ったものでした。
アメリカではプロレス団体・WCWに所属します。
武藤さんはアメリカのプロレスにおいて、日本人はキャラ設定が大事なことを痛感します。
外国人レスラーとして目立つためには、ストーリーも含めてキャラ設定しなければ観客を沸かすことはできないからです。
武藤さんも『ザ・ニンジャ』としてリングに上がります。
このときに、必殺技のムーンサルトプレスがアメリカの観客を魅了します。
その後、試合数を多くこなすことで実力を付け、収入もアップさせたいというねらいでヒールに転向します。
それが見事に当たり、フロリダ・ヘビー級選手権では王座を奪取します。
すっかり有名人となり、街で買い物していてもサイン攻めに合うほど人気になります。
その後一旦帰国するものの、アメリカでの成功が忘れられず、プエルトリコで2度目の海外武者修行に挑戦します。
ここではプエルトリコのプロレス団体・WWCに所属し、『スーパー・ブラック・ニンジャ』としてリングに上がります。
そして入って3ヶ月後にはWWCのTV王座を奪取します。
ここでも人気を獲得し、アメリカ時代よりも多くの試合数に出場するスター選手となります。
その後再びアメリカのプロレス団体WCWに移籍して、今度は『ザ・グレート・ムタ』として活躍します。
特徴は顔のペイントと毒霧のパフォーマンスです。
こちらも人気を得て、所属して早々にNWA世界TV王座を奪取します。
武藤さん曰く、海外武者修行時代は2年ほどの短い期間でしたが、活動自体はものすごく充実していたそうです。
ここでのキャリアが武藤さんの黄金時代でした。
あのときの経験が武藤さんの全てを作ったと言っても過言じゃありません。
スキンヘッド披露——あるプロレスラーに憧れて

帰国して新日本プロレスから全日本プロレスに移籍するというゴタゴタがありましたが、IWGPとG1のベルトを奪取します。
そして日本でも黄金時代に突入します。
その後初めての異種格闘技戦に臨むときに、肩ぐらいまでの長髪を剃り、スキンヘッドを観客の前で披露します。
理由は以下になります。
1.初心に帰る
異種格闘技という初めて体験することでしたので、初心に帰るそして気合いを入れるためです。
2.ビル・ゴールドバーグやスティーブ・オースティンに憧れた
2人の風貌はスキンヘッドで、今の武藤さんに影響を与えたのが分かります。
(後にヒゲを生やすのもこの2人の影響です)
3.キャラ設定変更
武藤さん曰く、2枚目は高田延彦には敵わないので3枚目路線に変更しました。
なおこのタイミングでスキンヘッドにした理由とは直結しないかもしれませんが、当時武藤さんの髪は少し薄くなってきていて、養毛剤も試していたそうです。
突然スキンヘッドにしたことで、当時小学生だった息子さんが驚いて泣き出してしまったそうで、「お前も悪いことしたら、こうなっちゃうんだよ」と言ったところ、息子さんはしばらくのあいだいい子にしていたそうです。
膝の不調との戦い——満身創痍の体

入団時代の過度のスクワットや、必殺技であるムーンサルトプレスを頻発したせいで、慢性的に膝の不調を抱えるようになります。
さらに初めて膝を故障した際に、怪我の状況を甘く見て、完全に治療しなかったことと、当時のスポーツ医学が今ほど発達していなかったこともあり、常に膝の不調に悩まされていたそうです。
遂には走ることができないほど悪化してしまい、膝に負担が掛からないようにプールでトレーニングを行うようになりました。
そして2010年、変形性膝関節症による右膝関節内遊離体除去の手術を行います。
約半年ほど欠場しましたが、その後復帰します。
新団体WRESTLE-1の旗揚げをし、その運営会社であるGENスポーツエンターテインメントの代表取締役会長も勤めていました。。
そして57歳になった今もなお、現役のレスラーとして活躍しています。
スキンヘッドのプロの僕はこう思った
元々プロレスラーになるつもりがなかったにも関わらず、厳しい環境の中でも最大限の努力をしてプロレスに向き合ったからこそ、武藤さんの今日までの功績があるのだと思いました。
武藤さんはそれぞれ違った理由や思いを込めて3回もスキンヘッドにしています。武藤さんにとってはそれぞれ違った意味があって当時の武藤さんの心境が分かりました。
1回目は『新弟子のおきて』、2回目は『気合い』、3回目は『初心、憧れ、キャラ設定』というふうに、それぞれ自分の置かれた立場を表しています。
またプロレスという世界において、キャラ設定とストーリーがいかに人気に関わるかがわかりました。
現在はSNSや個人メディアを通して、個人での発信が活発な時代です。この考え方は非常に勉強になりました。
そしてなぜNOHAIRS界隈で絶大な人気があるのか、個人的な意見になりますが、それは『寛容さ』だと思います。
自分のプライドよりもプロレス界を盛り上げることを優先する。
自分の必殺技を他のプロレスラーが使っても何も言わない。
神無月さんにモノマネされても一緒に出演して逆にキャラを寄せる。
それが武藤さんの1番の魅力だと感じました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。