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我慢はしない、辛抱もしない。その悩みに意味はあるのか?

ハゲを強みに変えた人たちの生き様を伝えるインタビューシリーズ。

今回お話を伺うDreamer Japan株式会社の代表取締役・本田康弘さんはスポーツの価値を押し上げる様々な事業を行なっている。

本田さんはラグビーの企業チームに所属していたが、24歳のときに頭蓋骨陥没骨折で脳挫傷を負い、2週間ほど意識を失っていた。

目が覚めたときにはスキンヘッドになっていて、選手生命を絶たれてしまっていた。

死の淵からスキンヘッドで蘇った

高校を卒業し住友金属にラグビー推薦で入社して、企業のラグビーチームに所属していました。

ワールドカップに出場することを目指していましたが、24歳で左側頭部を陥没骨折、頭蓋骨陥没骨折で脳挫傷になり、2週間意識を失って、目が覚めたらスキンヘッドになっていました。

それが人生初のスキンヘッドでした。

ボロボロになった左側頭部の頭蓋骨を一度除去して、セラミックの人口骨を入れる手術をするために、髪の毛が剃られてしまっていたんです。

意識を失っていた2週間、仲間が見舞いに来てくれていて「目が覚めたときにスキンヘッドになっていても落ち込まないように」と、ベッドの周りにはお見舞いの品として帽子や、ちょんまげのカツラ、とにかくありとあらゆる被り物がたくさん置かれていました。

一つひとつ見ていたら被り物の間から、所属していた日本ラグビー協会の登録抹消届が出てきたんです。

もう二度とラグビーはできないということと、自分が死にかけていたことを知りました。

突然スキンヘッドになってしまったことについては、僕は昔から頭の形がいいと人から言われてきたんです。

初恋のお姉さんから「本田君の頭の形が、付き合いたいぐらいに好き」とまで言われたぐらいでした(笑)

そんなこともあって髪型のこだわりもなかったので、スキンヘッドをなんの抵抗もなく受け入れたように思います。

『スキンヘッドの営業はNG』。自分らしく生きるための起業

24歳で2週間意識不明になる前までは「ボールを持って走っていればなんとかなるだろう」と思っていました。

しかし、ラグビーができなくなり、ラグビー推薦で入社した職場にそのまま復帰するのには抵抗があり、退職させていただきました。

親父に「これからどうやって生きていったらいいのかわからへん」と相談したところ、「お前はアホやけども、挨拶だけは大きな声で誰にでも別け隔てなくできていたから、営業で日本一を狙ったらどうだ」と励まされたんです。

営業職はとても自分に適していました。あのときの父のアドバイスのおかげで今があります。

28歳で素晴らしい理想の女性と結婚し、妻を大切にしながら生きていくと心に誓いました。

一方で自分が高卒だからやりたい仕事ができないと無意識に妻に漏らしていました。

「そんな言い訳、もう聞きたくないから大学に行けばいい」と妻に一喝されて、30歳で大学に入学して6年かけて卒業しました。

大学を卒業した翌年37歳のときに「机に向かう勉強を大学で経験したのなら、日本のへそで勝負しに行こうよ」と家内にすすめられ、何のあてもなく神戸から上京して、上場企業と有名外資系企業を対象のコンサル営業を始めました。

大学を卒業して上京までして、とても張り切っていたのに、見た目について上司から注意を受けました。

体がゴツくてスキンヘッド。しかも手術の傷跡が頭皮にあったので、会社から「ガラが悪く見えるからスキンヘッドはやめてほしい」と、言われてしまいました。

素直に言うことを聞いて、少し髪の毛を伸ばしたんですね。

でも、僕の働きぶりではなくて、見た目にケチを付けてくるような会社とは水が合わないものですね。

気が付いたら円形脱毛症になって、まばらにハゲができました。

「俺、この会社は合ってへんかもしれん。なんで文句ばかり言われるんやろ?」と妻に相談したところ、あっさりと「本田くんの会社じゃないからやん」と返されました。

慧眼でした。僕が悪いわけではなくて、会社と僕との価値観が合わないだけですよね。

そのとき、ありのままの自分で全力で働ける環境を作るには、自分で会社を作るしかないと気付き起業しました。

どうしたら自分が輝けるか。視点はそれだけ

円形脱毛症に悩んでいたときは「練習のための練習をしているな」と感じていました。

つまり円形脱毛症は目的がわからない辛抱や我慢の現れだったんです。

ラグビーをしていたときを思い返すと、練習は勝つためのものでした。

しかし円形脱毛症だった当時はそれに耐えたところで、僕の求める勝利はありませんでした。

その練習が将来勝つために、より将来より輝くために必要なものだとわかっているなら、ストレスにはなりません。

しかし、当時の自分は目的なくただ耐えているだけ。

次につなげたいビジョンもありませんでした。

今、こうしてスキンヘッドで仕事ができて、自分のやりたいことを仕事にしていますが、悩みがないわけではありません。

しかし、辛抱や我慢をしていると感じたこともありません。

その先のビジョンや達成したいことがあるので乗り越えることが楽しいし、楽しさに繋がらない悩みはしない方がいいですよね。

髪型のことで悩んだこともありません。

どんな髪型になっても僕は変わらないし、髪の毛のある人や顔が格好良い人を見て「あの人みたいになりたい」と思ったこともありません。

どうしたらありのままの自分が輝けるんだろうという視点で行動してきました。

頭の形が綺麗だからスキンヘッドのままでいようと思ったり、スキンヘッドの自分が無意味なストレスを受けずに輝ける場所を作ったりしたのはその行動理念からきたものです。

自分がより輝くにはどうすればいいかという軸で考えて行動すれば、ピンチは全て将来のチャンスに変わります。

悩みは自分をより美味しく熟成してくれます。悩みを敵ではなく味方にしまえば、命の限りワクワクし続けられると思っています。

 

人は何かに耐えることを美徳としてしまいがちだ。

しかしその忍耐には本当に意味があるのか、自分の目的地を見つめながら今一度考えてみたい。

モデル:本田康弘 Dreamer Japan株式会社 代表取締役 / 撮影:長谷川さや / インタビュー:高山

 

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