髪型を変えるように、生き方も柔軟に変える
終身雇用神話が崩れかけた今、安定した企業へ就職することは何ごとにも代えがたい。
だからこそ安定と引き換えに、理想の生き方へシフトチェンジすることに及び腰になってしまう。
今回お話を伺った山田佳史さんは、まさにそんな人生のシフトチェンジを行った人物だ。
『安定よりも、自分が楽しいと思える人生を』
誰もが憧れつつも、なかなか実行することのできない生き方を選んだ彼に、人生を楽しむ秘訣とそのモチベーションを伺った。
新卒・銀行勤務からの転向
——山田さんは平日は看護師のお母様と福祉系の事業所を経営し、休日は飲食店で働いていらっしゃいます。まずはどのような経緯で今のような働き方をされるようになったのでしょうか?
大学卒業後は銀行で3年ぐらい働いていました。
転職しようと思って就職したわけではありませんが、定年まで絶対に勤めあげようという気持ちは強くなかったですね。
大学時代から、海外で様々な国籍や人種の人たちと関わることにずっと憧れていたので、海外ボランティアに行くことに決めて退職しました。
渡航の準備期間を半年間設けていましたが、その間に母親が社会福祉の事業所を立ち上げることになったので、最終的に母親を手伝うことにしました。
海外へ行くことはいったん諦めましたが、日本でも国際ボランティアの協力員として、並行して日本語を教えていました。
飲食店で働き出したのもその頃です。
『おじいちゃんになってもみんなが集まれる場所』というものにずっと憧れていて、そういう意味で飲食店がいいなと思っていました。
いつかは自分のお店も持ちたいと思っています。
いい人たちと出会って、今ここにいる
——今回は勤務先のお店でインタビューさせていただいています。照明や装飾がとても素敵ですね。こちらのお店はどういう経緯で働かれるようになったのでしょうか?
事業所を手伝い始めたのと並行して、バーで働き始めました。お酒について色々覚えてからバーを辞めて、次にレストランの調理場で働き始めました。
新しいことも学べて、やりがいもあって、たくさん経験を積むことができました。
そのレストランでお世話になった先輩の考え方にとても共感できたこともあって、二人三脚で頑張れたことも大きかったと思います。
レストランを退職した後もその先輩との交流は続いていて、今でも仲良くさせてもらっています。この前は沖縄旅行に一緒に行ってきました。
その後、福祉事業所の仕事量を増やす関係で今のお店で働くことになりました。
今働いているお店は、前からよく飲みに通ってたお店で、それが縁になりました。
同僚たちとはフラットな関係で居心地がいいです。
振り返ると今までいい人たちと出会ってきました。
それじゃあ銀行にいた頃は人との出会いに恵まれていなかったかというと、全然そんなことはないです。仕事柄、会社経営者の方に会う機会に恵まれた良い環境だったと思います。
今は企業という枠組みに縛られずに生きてる人たちと出会えることが刺激的ですね。
リスクがあってもおもしろいことがしたい
——銀行勤務というと将来安泰なイメージがあります。安定したキャリアを捨てることに抵抗はありませんでしたか?
ありませんでしたね。
今までの人生を振り返ると、そんなに必死に頑張らなくても、勉強も就職もある程度思うような結果が出せました。いわゆる『安定した生活』を送っていたんです。
でもそれじゃあ『おもしろくない』と気付いて、リスクがあっても目的を持った楽しいことをしたいと思うようになりました。
だから銀行を辞めた後の今の生活の方が楽しいです。
でもただ楽しいだけだと銀行を辞めて、単に生活が変わったからじゃないかということになってしまうので、きちんと結果を出したいと思っています。
焦らない、でもやるしかない
——銀行勤務から飲食店へとまったく違う業種にシフトチェンジするのは苦労があったかと思います。どんなことを心掛けましたか?
『やるしかない!』ってことですかね。
一つ課題を与えられたときに、必要な時間は人それぞれですけど、やり遂げることは誰でもできると思っています。
初めてのレストラン勤務のとき、調理場担当なんて当時はもちろんど素人でした。
周りからは当然「元銀行員、すぐに辞めてしまうだろう」と思われていたはずです。初出勤の日から、腹痛で欠勤するなんてこともありましたし(笑)
それに、最初からやりたい仕事を任せてもらえるわけでもありません。そのためには周りに認めてもらうしかない。
いろんなマイナスの印象を払拭したくて、人よりも早く出勤したり、誰よりも仕事をするようにしました。
『できない、できませんでしたは言わない』『必ずやり遂げる』ということを常に心がけるようにしました。
最初は挫けそうになりましたが『やるしかない』と踏ん張り直した結果、やりたい仕事ができることへと繋がってきたと思ってます。
坊主がNGだった銀行の営業時代
——野球をされていたとのことですが、子供の頃から坊主頭ですか?
野球を始める前から坊主頭でした。三兄弟みんな坊主頭だったので、近所から『坊主三兄弟』と呼ばれてました(笑)
中学高校と坊主頭が嫌だった時期もあったので、その反動で大学に入学したときに、ちょっと伸ばして染めたりしていました。
就職後の配属先は営業部で、坊主頭が禁止だったので同僚たちと同じような髪型にしていました。
その後、異動先の部署に坊主頭の方がいて、ちょうど髪の毛が薄くなってきていたことも気になっていたので、それをきっかけに坊主頭にしました。
営業部時代しか知らない人たちからは驚かれましたが、周りからの反応は特に気にならなかったです。
ファッションはシンプルにかっこよく
——ファッションにこだわりはありますか?
できるだけシンプルにすることを心掛けています。
理想はTシャツにジーパンをかっこよく着こなすことですね。帽子やアクセサリーは付けないです。
格好良いおじさんになりたくて、雑誌を参考にすることもあります。重要なのは坊主頭に合うファッションかどうかですね。
あとは場の雰囲気とマッチさせることも大切にしています。今日はお店の雰囲気に合わせてファッションを選びました。
向き合う理由を見つけたときに、人生は楽しくなる
——事業所の経営と飲食店の勤務と、どちらのお仕事も楽しんでいらっしゃいますね。『今』を楽しむ秘訣はなんだと思いますか?
自分がおもしろいと感じることがしたくて銀行を辞めたわけですが、もちろん最低限やらなければいけないことはあります。
それをずっと『なんとなく』やっていたら成長できないし、いつか嫌になってしまうと思うんです。
『飲食店で働きたい』、『自分のお店を持ちたい』という目標が明確にあったので、さっきお話ししたレストランの調理場も、1度欠勤した後は挽回して挫折しませんでした。
今やらなければいけない理由と向き合えたら、大変さよりも楽しさの方が増すと思います。
——『楽しく生きる』とは決して苦労がないということではない。理想とする生き方を選択するには、柔軟で強靭な精神力が必要となる。
それに対して山田さんの物腰や口調は柔らかで軽やかだった。柔らかでしなやかな竹は折れにくい。これからもきっと軽やかに新しい道を切り開いていくのだろう。
山田さんが勤めるお店の情報はこちら。
店名:DESPERADO(デスペラード)
住所:千葉県千葉市中央区富士見2-18-1 康伸ビル2F
アクセス:千葉中央駅徒歩5分/千葉駅徒歩8分
営業時間:月~日、祝日、祝前日: 19:00~翌6:00
電話番号:043-441-3133
モデル:山田佳史 / 撮影:長谷川さや / インタビュー:南はるな / 編集構成:東ゆか
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