
ダサいのは髪が薄いことではない——20代の著者が見た日本の薄毛と世界の薄毛
僕は、まだ薄毛とは無縁の生活を送っている。
正直自分が薄毛になりたいとは思わない。
しかし、自分髪の毛が少なくなってきたときに取る行動はすでに決まっている。
NOHAIRSに仲間入りする、つまりスキンヘッドにするということである。
なぜか?
それは、世界のNOHAIRSがたまらなく格好良かったからだ。
僕が18歳になるまで、薄毛に対して持っていたイメージは「ダサい」だった(今はそんなことは全くない)。
その、「ダサい」という薄毛に対するイメージが変わるきっかけとなったのが、ヨーロッパでの生活である。
今回は、20代の僕から見た日本の薄毛事情と、世界の薄毛事情に加え、ヨーロッパで生活する中で感じた、両者の決定的な違いなどについて書こうと思う。
『イケてるハゲ』のイメージが浸透していない日本

僕は高校時代まで、日本で生活していた。
通学のために毎日乗っていた電車の中には薄毛の人も一定数いた。
しかし、彼らの中には、こめかみあたりの毛をこれでもかというくらいに伸ばし、脳天の薄毛を隠すために逆サイドまで被せていた人もいた。
満員電車の扇風機の風が彼らの頭をかすれるたびに、隠していた脳天が丸見えになり、風が通り過ぎるたびに髪の毛を直すという作業をしていた。俗に言われる「バーコード」のヘアスタイルである。
明らかにハゲていることは周りからもはっきりとわかっている状況なのに、それを隠そうとする振る舞いは情けなさを感じさせた。
それを毎日のように見ていた僕は「ハゲてきたら俺もこうするのかー」と、少々やるせない気分になるのだった。
なので、当時は薄毛の人が格好良いとは思ったことはなかったし、絶対になりたくない象徴としてのイメージが強かった。
しかしその数年後、その薄毛に対するイメージが劇的に変わったのだ。
カッコよさを追求するイタリアンNOHAIRS

僕は高校を卒業してすぐにプロサッカー選手を目指し、イタリアに渡ることになった。
ここから、僕の薄毛に対するイメージは驚くほど変わったのである。
まず、イタリア人は薄毛であろうが、恥じることなく他人と同じように意見を言ったり、他人と同じ権利を得られるというマインドセットがあるように感じた。
おそらく、キリスト教の影響だろう。キリスト教では神が人間を作り、その人の運命でさえも神が決めるという思想がある。
「神様が決めた自分の見た目や運命には逆らえない。だから、運命を受け入れ、内面を磨き、自分がコントロールできることに集中しよう」というように。そうなると、起きてしまったこと(ここでいう薄毛になってしまったこと)は受け入れて、自分ができることをするしかない。
薄毛の人もかっこいいスーツを着たり、お洒落をして堂々と道の真ん中を歩き、薄毛以外の目立つポイントを作ろうとしていた。
しかも、ほとんどの薄毛の人がスキンヘッドで、逆に自分の頭を強調していたのだ。
イタリアで出会ったNOHAIRSのほとんどが、かなりお洒落をして自分の人生を謳歌しているように見えた。
ハゲていても「かっこいいんだぞ」と言っているようだった。
そして、ユーモアセンスも抜群。
人にいじられる前に、自分で自分をいじるのである。
この堂々とした振る舞いには驚かされた。
こちらに、イタリアンNOHAIRSの名言を書いたことがあるので、後ほど読んでいただきたい。
『ハゲていても気にしない?イタリアのハゲ事情』
コンプレックスは強みになりうるのだと、僕はこのときに感じた。
人生を楽しむスパニッシュNOHAIRS

イタリアで1年半ほど生活した後、僕は移籍のため、スペインに引っ越すことになった。
そこで目にした光景も、国は違えど、イタリアとよく似ていた。
スペインもキリスト教なのでベースにある考えはイタリアとよく似ていたが、スペインのNOHAIRSたちは、イタリア人よりもお洒落に興味がなかった。ファッションを気にしている人の割合はイタリアに比べるとかなり低かったのではないかと思う。
しかし、スパニッシュNOHAIRSも人生を謳歌していた。
違いはどこにあるのか?
スパニッシュNOHAIRSは基本的に見た目をあまり気にしない。
イタリア人のように格好良くキメめるのではなく、ハゲが堂々とグループの中心に君臨し、ジョークとたまに混ぜてくる自虐ネタで周りの人を爆笑の渦へと誘っていた。
ハゲが、誰よりもその場を盛り上げていたのだ(もちろん例外もある)。
『人生を楽しもう』とする姿勢にとても貪欲だった。
「ハゲがなんだ!俺たちだって人生を思いっきり楽しめるんだぞ!」と言っているように僕の目には映ったのだ。
イタリアは『ハゲてても格好良い』、スペインは『ハゲていても人生を楽しめる』。
こう考えているように見えた。
ダサいのは『髪が薄いこと』ではない。
それを受け入れず、人生を積極的に生きようとしないことがダサいのだ。
イタリア、スペインのNOHAIRSに共通していることは、ハゲたことを受け入れていること。そして、ハゲていても人生を面白く生きようとする積極的な姿勢だ。髪が薄いことを隠そうなんて全くしていない。ハゲを受け入れた上で、格好良くなるには、人生を楽しむにはどうすればいいか?ということを考えていた。
僕は、このあり方を見て自分もこうなりたいと思った。
いや、ハゲてきたら堂々とNOHAIRSになり、格好良く、人生を楽しもうと。
薄毛は隠すからコンプレックスになる。
では、いっそのこと丸出しにして自分を輝かせてみるのはどうだろう?
薄毛を積極的に受け入れ、自分から、人生を楽しもうと工夫する積極的な姿勢が大切なのではないか。